2011-12シーズンにアーセナルからボルトンに期限付き移籍をしていた宮市亮。2012-13シーズンもアーセナルでのプレーはかなわず、12年8月、3度目となる期限付き移籍でウィガンに加入した(1年目は10-11シーズンのフェイエノールト)。しかし、リーグ戦出場わずか4試合、故障に苦しんで1年を終えた。
■出場わずか4試合49分12-13シーズンの宮市の成績は以下の通り。
得点:0
出場試合:4(スタメン0)
出場時間:49分
途中出場:4
ベンチ:7
4試合とはいえ、プレー時間は短すぎる49分。1年を通して1試合のハーフタイム程度だ。そして得点0。12試合に起用されたボルトン時代もゴールは奪えておらず、結果だけを見れば2シーズン無得点。
開幕戦、第2節をベンチ外となった宮市は9月に入り、第3節ストーク・シティ戦でようやくウィガンでのプレミアリーグデビュー。9月はその後2試合で途中出場で起用されたが、当時のロベルト・マルティネス監督は慣れない右サイドで起用した。
ただでさえ慣れない新チームであるうえに、厳しいポジションとなっただろうが、今後のことを考えれば悪い面ばかりではない。スペイン代表の右FWヘスス・ナバスのような一部の選手を除いて、1ポジションで起用される選手は年々減ってきている。サイドの選手ならFWでもMFでもDFでも、左右いずれでも起用されることはある。ユーティリティ性が多く望まれるのが現代サッカーであるだけに、右サイドでのプレーは本人にとって今後プレーの幅を広げる意味で、いつかトライすることになるものではあっただろう。
とはいえいかんせん、プレー機会が少なかった。10月には股関節の故障で離脱。11月17日のリヴァプール戦で6試合ぶりの復帰を果たすも、結果的にウィガンでのリーグ戦はこの試合が最終戦となった。この後再び、右足首の状態が悪化して離脱したのである。
再びピッチに戻ったのは4ヶ月後。
長いリハビリを終えて2013年3月9日のFA杯の準々決勝エヴァートン戦、40分からの出場でようやく復帰した。しかし悪夢は終わらない。65分に負傷してしまい担架に乗せられ交代。その後「今季絶望」と診断。3月に右足首の靱帯手術を行い、このままシーズンを終えたのである。
そしてウィガンはFA杯で優勝こそしたものの、20チーム中の18位に終わり、前年に所属したボルトンと同じくチャンピオンシップに降格。自らが故障で苦しんだだけでなく、2シーズン連続で所属クラブが降格するという悲運も味わった。
■苦しみを明日の糧へとする宮市にとってはサッカー選手になって初めて味わう苦しみばかりが襲ってきた1年だったかもしれない。そしてウィガンへの期限付き移籍は終わり、執筆時点では席のあるアーセナルに復帰。このまま新シーズンを迎えられるか、4度目の期限付き移籍となるかはまだわからないが、少なくともアーセナルのアジアツアーには帯同している。
苦しいばかりだったこの1年だが、宮市は「アーセナルでプレーできるならそのチャンスをつかみたい」と意欲は逆に増すばかりだ。そして2014年にはW杯もある。代表ではまだ結果を出せておらず、いきなり主力になるという予想は難しいが、ジョーカーとして本大会で招集される可能性はゼロとはない。
まだ20歳の宮市にとって、来る2013-14シーズンはとても大切な1年となるだろう。どのようにこの1年を過ごすか今の時点では読めないが、願わくば、12-13シーズンの苦しみを忘れさせるような活躍が見たい。
Photo Sky Sportsより
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